先日、D&Mグループの有す新白河工場にお呼ばれで見学してきました。詳細は後日記しますが、当日私が一番見たかったのはDL103を作る所。いやぁ、凄いですね。デノンのおエライさんはあれを担当されているたった一人の職人さんの存在価値を深く理解しその方を今以上に手厚く守らないとまずいですね。もしもがあったら、日本のMCカートリッジ壊滅的打撃ですよ、本当に。役員やおエライさんには大変申し訳ないですが、重要役職にはハッキリ言って変わりは居るでしょうよ、だって会社のTOP変わっても幾らでも継続してるじゃん、企業自体は。でもあの針巻ける方に変わりはいませんよ。DENONブランドは今後ともきっと安泰でしょうが、DL103と言うカートリッジの存続自体はたった一人の指先に掛かっています、現在の所。もうこの針の存在自体はDENONブランドの社内的都合と言うよりは、日本全体のカートリッジ事情を大きく左右する貴重な存在であり、また、その責任を有していると言う理解と覚悟を是非有して頂きたいものですね。そもそも、職人或いは突き抜けた才能や技量を有した人材ってのは、経営指導みたいな反吐が出そうな御託並べる外部のコンサルタントみたいのが作製したDVDのマニュアル見せてとか、朝礼で綺麗事の上辺だけ諳んじて連呼とか、富士さんの麓で自己反省とか絶叫とかさせてる様な愚かな企業研修とか、社内コンプライアンス云々なんか幾ら強化したって絶対に育ちませんゼ、旦那。

さて、そのDL103ですが、発表が1964年で発売開始が1970年と言う事は実の所現在のデノン関係者でも殆ど覚えていないか知りません。何故って今現役で働いてる人殆ど1964年以降の生まれですもんね、1964年って昭和39年ですよ、新幹線開業とかケネディ暗殺とか、ビートルズが英国飛び出して米国で異常な人気誇った時代で、今となっては教科書で学ぶような殆ど歴史の一コマの昔の話です。流石にブロンディじゃないですが、サザエさんが朝日新聞で連載されてる様な時代です、要するにもう人類の半分以上の人達にとっては知らない時代ですね、今更。多分若い人と言うより、恐らく40歳程度以降だと、サザエさんはTVアニメとしては知ってても元は朝刊の4コマ漫画だったとは最早知らんでしょう、まぁいいや。ともかくそのDL103が既に発表から50有余年、例えそれ以前の生まれでも、1964年当時で5歳や10歳でこの針の事知ってたらおかしいでしょ?1964年生まれにその年の東京オリンピックの思い出なぞ無いのと同じで、つまり当時のコロンビアに入社したとして最低でも1964年当時で18歳か22歳以上、直にDL103の開発に関わっていたとすれば、年齢良くて当時20代後半から30代40代です。と言う事は実際には1930年代、或いは1920年代生まれの方々が担当した針と言う事になります。そうか、大正生まれの世代の方々も入って来るんだ。そんな方々が造られた針が、既に当時の方々は皆現役を退いているにも関わらず、未だ現役でしかも新品として購える継続生産品として造り続けられている事に驚きを覚えます。皆さん他に1964年発表で未だに変わらず作り続けられてるオーディオ製品御存知ですか?因みに人気のオルトフォンSPUは形こそ同じですが、それ以外は全部側も中身も材質も全てリニューアルされていますからね、念の為。因みに新白河工場でDL103を作る様になったのは1983年以降、ようは聖子ちゃんカットみたいな暑苦しい髪型が街に溢れてた時代ですね、ですから、今現場にいる方も実の所コレ以前の事は殆どの方が知らないのです。なにしろその当時に20歳でも、もう54歳・・・。

DENON DL103の構造及び概念図はコチラ

閑話休題、あまり知られていないのですが、一切の変更をされずに生産継続されているとオフィシャルでは伝わるDL103も、一箇所だけ生産の効率を上げる為に追加改良されたポイントが存在しています。コレは分解して良く観察しない限りは絶対わからない部位なので、ここでは具体的な事は申し上げません。ただどうしてもこの針好きで色々携わる私個人としては、それがいつからそうなったのかは知りたかったので、今回の見学を機に生産担当者にその点だけを注意深く伺った所、1983年に生産を白河に移行して以来一切の変更なく同じ指示書で作り続けている旨の返答を頂戴出来たので、詰まる所そのタイミングかそれ以前にその変更が行われたのだろうと考えます。
ところで先に1964年発表1970年発売と書いた点に疑問を覚えた方もおられる事でしょう。コレはですね、元々市販モデルでは無かったのです、DL103と言う針は。皆さんも御存知の通り、この針本来は業務用プロ機、NHKやFM各局のリクエストに応えてコロンビア時代に開発された針で、それがだんだんマニアの間で噂を呼んで一般販売化への要望が高まって、1970年に市販が開始された訳ですね、その間6年。思うにこの時点で生産量は激増した訳です、放送局用に必要な数と市販じゃそりゃ全然数違いますもんね。そこで考えるに、先に上げた内部の小変更はこのタイミングで起きたかなと私は考えます。生産力上げて安定供給を図る為に。手元にあるその改良前の針は、明らかに高度な職人の技量が必要とされるポイントが存在しています。もっとハッキリ言うと、全く量産向きでは無い部分があります。翻って現在のDL103の内部を覗くと、精密であり手作業の賜物である事には変わりませんが、その部位には個体差を無くし生産性が上がると想像の付くガイドに当たる部品が追加されています。これがない時期のDL103はどう考えても今より製作に倍以上の手間と時間と神経使いそうに見受けます。もう一つの変更時期の推測としては、1983年の生産工場の白河への移転時が想像出来ます。移動と同時に改良及び新規マニュアルの導入、さて実際はどうなんでしょう。
毎度の如く延々と書き散らかしましたが、実の所その答えなど私自身はDENON及び関係者に求めては居ないのです。ただ、この針をこれからも確実に造り続けて貰いたいと願うばかりです。先だって、金は持ってるけど、どこか人間的な根本的な部分は欠けたと推測される人間が、寿司なんて何年も修行した職人が握らなくても旨いのが食えるとか言ってましたが、こういう考え方が蔓延して一定の支持を得た時点で、この針も消えるでしょうし、日本から物作りも職人も消えるんでしょうね。
ローマは一日にしてならず、DL103も然り、まぁ厳しい修行積んだ職人握ったすし否定して、マニュアル化された二三ヶ月の研修で十分とかぬかす様な物の価値感の人間には関係ない話でしょうがね。

 

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