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登場以来早30年以上も経ったCDという音楽再生媒体は、市場に出るなり僅か数年した1987年には長い実績を誇るアナログディスクの出荷量を簡単に抜き去り、その後確か1998年に登場したSACDに(後者からすれば全くもって不甲斐ない話ではありますが)取って代わられる事も無く、21世紀も既に10数年を経たここに来て尚更古びるどころか、録音技術や考え方の進化進歩にも助けられ、また化学的素材の性能の飛躍的進化も伴い、同じ12cmのポリカーポネートの円盤から同じタイトルの同じ曲を奏でたとして、80年代初頭のそれと、現代の最新リマスターの注意深い録音がなされた同音源の同タイトルから得られる音楽再生の躍動感や情報の豊さは、もう同じフォーマットとは思えないほどの変わりようを魅せると言うか聴かせてくれて、そのあまりの変貌に驚かされます。

勿論機材の方も国産メーカーは大手を中心に、その(CD)企画/規格の提唱メーカーを含めて進歩はしたのですが、今オーディオメーカーと呼ばれるところは大概が市場ではソフト的には少数派のSACDに対応した機材を造る事が忙しいのか、CDに特化した製品はもう一部の廉価製品を除いては極めて影が薄くなってきています。

それに家電メーカー系は殆んど如何にも彼ららしい理屈と事情と無定見さを理由に、CDプレーヤーと言うより単品コンポとしてのオーディオ自体から手を引いてしまっていますしね。

そしてPC環境が当たり前の現代に、ネットオーディオの先進性と音質の良さが叫ばれてもう大分経つ今現在、つまりCDは間違いなくその規格の終焉期に入っているのですが、その音質自体は困った事に、CD史上最高レベルに達したと思われるところまで来ている点です。

これは出て間もない当時のCDだったら何でも良いので、同じタイトルの最新盤とを同じ機材で同時に入れ替えながら聴き比べれば簡単に体験出来ますね。

もしかしたら消える前のローソクの一瞬の煌めきを正に体感してるだけなのかも知れませんが、30年に及んだ、実のところLPの全盛期より稼働期間の長くなったこのCDと言う規格の最高を存分に知って聴きつくしてから、いよいよSACDなり(コレ自体が音楽再生の中心メディアになる事は、ことコンテンツ/タイトル面で今後まず間違いなく有りえないのですが)次の規格なりメディアに移行するのも悪くないと思うのです。

そしてここが今後これから特に重要になってくるのですが、この先近い将来いや現時点以降、よく出来たCD再生専用機は極めて手に入り難くなる事が容易に想像できるという点ですネ。

なぜならCD専用ドライブはオーディオの為だけに造り続けるには今やあまりにも数が少なすぎるので、多くのPCやゲーム機が光学ドライブを積まない、必要とはしない現在、大量生産品のパーツを基にオーディオ用の為の高音質を得る為のチューンを施してきた今までと違って、既にCDドライブを必要とする機械が実は高級オーディオ市場にしか残っていないので、DVDドライブやカーオーディオ用メカを転用したCD再生機を少数の例として、最早オーディオ機器に適した専用CDメカは数えるほどしか残っていないのです。

よって今後はCD再生にその能力を特化した、即ちCDの音が良いプレーヤーは減っていきます。SACD機でCD聴くのがいけないんじゃないですよ、勿論。CDをCD専用機で聴きたいと言うだけの話です。

全く面白いもので、今、Hi-Fiオーディオと呼ばれるブランドの造るプレーヤーはその多くがSACD対応機でその際の音質を声高に謳います。ところが全盛期の1/7程度にまでその数を減らした(最近では六本木、池袋にあったウェイヴや、神奈川県下では町田や藤沢、本厚木にあったタハラの閉鎖が痛いですネ・・・)と言われるCDショップに出向けば、かなりの大型店でもSACDソフトを見掛ける事なぞまず有りません。だって店員がその存在自体知らないし、ソフト制作側にも問題があって、凄くて偉大な音楽なんだろうけど一般的には売れなさそうなモノばかりSACD化してんだもん、そりゃ一般に普及しないよね。

お店の数は減ったとは言え、未だにソフト販売側の主力はアーティストも販売店もCDが中心なのです。

先日男ネタで知名度を増した女の子が中心だか前に立って歌ったとか言う女の子が沢山並んで同じキーを謳うグループの新譜は100万枚売れたそうです、凄いですネ、これは本当に。100万枚全部CDですよ。もしそれをSACDにすれば彼女達のファンは熱心さで知られているので、SACDの販売数が一気に100万枚加算されて市場にSACDが浸透する起爆剤になるのではなかろうかと思うのは僕だけでしょうが、ともかく業界にはそういった発想が無いので、世の中売れてるタイトル、入手し易い環境のタイトルはCDばかりなのに、それを再生すべき機材のCDプレーヤーはどんどん数を減らしSACDプレーヤーばかりになっていき、だけどそこで真価を発揮できるSACDソフトは良くて1000枚売れりゃいい様なタイトルばかりを追求するので、ますます市場でも見掛けなくなってどんどんニッチになっていく関係です。

話が跳びまくってますが、皆さん手元のソフトを見てみましょう。一部の熱心な愛好家を除いて、所有する再生ソフトは殆んど全てがCDではないでしょうか?

因みに私はこんな仕事に携わり、また今までも多くのSACD機を皆さまに奨めたり販売したりしてる立場ではありますが、個人的には実のところ機材もソフトもSACDは所有していないのです。それはSACDの優秀さを否定したり拒否したりとかファナティックな理屈ではなく、ただ単純に何一つ自分が好きなアーティストがSACDとしてマトモに出ていない、それだけの理由なのです。僕だってSACD聴きたいのです、素晴らしい事は判っているので。でも聴きたいアーティストのSACDが本当に無いんです、だから今日も帰ってCD聴くのです。

よって今あるCDから最良の音を出そうと考える限り、そう、1枚でもいいから自分の好きなというか愛してやまないアーティストがSACDを出てくれればいいのですが、今後その可能性はますます閉じられていくので(何しろ大手は全然やる気ないし、私の好きな音楽はその大手に大概属したアーティストだし)自分にとっては聴けない規格に全力を注入した機材より、今手元にあるCDソフトに対して最善を尽くすと宣言してくれるブランドのCD専用機に大きく心を動かされるのはもうこれは当然であり必然なのです。

だから話が毎度のグダグダのまま例の如く一気に終盤に突入しますが、今回正にそこを突いてきたソウルノートCD専用トランスポートは全く大した存在です。

そしてDAC、つまりデジタル-アナログ変換はここ最近急速に数と性能を増しつつ物凄い勢いで価格が下がって“キテ”いるUSBにも対応した一連のD/Aコンバーターに任せてしまえという姿勢は、CDが出た30年近く以前に誌上で良く叫ばれていた「近い将来全ての信号はデジタルセンターに集約されてプレーヤーの内蔵DACは不要になるからして全てがトランスポート化される日も近いであろう」的な全く当たりやしなかった予想というか無責任な妄言を、雑誌に書いてある事何でも信じた純粋な少年だった自分ですが、今漸くその一部が実現した様な気がして、随分年喰っちまいましたが少しだけ嬉しい気もします。

まだ当分自分のコレクションにSACDが加わりそうもないけどCDプレーヤーもそろそろ買い換えなくてはいけない時期で、でもSACDプレーヤー買っても聴く物ないしCDの音良くないと困るし「でも50万円とか100万円とかちょっとあり得ないし」ともしお悩みの方がいらっしゃいましたら、是非ソウルノートのct1.0をご購入下さいませ。間違いなく正解の買い物です。更にあなたにとって最後のCD専用機となる事も確実でしょう。

ところでさっき私は、「一番売れてるアーティストをSACD化するべきだ、そうすれば広く普及するであろう、私は聴きたいモノがないから未だにSACDを導入していないのだ」と要約すればそういった意の事を大変偉そうに書き散らしました。不快の念を抱かれた方がおられればここでお詫び申し上げ、また、私がSACDプレーヤーを所有していないのはAKBがSACD化されていないからなのか、と言った印象をお持ちになられた方がもしおられたとしまたら

「とーんでもございません!」

とハイジのロッテンマイヤーさんみたいなイントネーションで全力で否定させて頂いた上でこの駄文の〆とさせていただきます、以上。

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