私の目の前に二台のレコードプレーヤーがあります。
一台目が1981年発売のコロンビア時代のデンオンDP-60L、交換パイプアーム式のセミオートプレーヤー。
二台目は同じ年にDP-60Lのオート機構を取り払った形で出たマニュアル機のDP-60M。
前者が当時の価格で90,000円、後者がオート機構が無い分お安く82,000円だったとの事ですが、ものの資料を頼ると当時の大卒初任給が12万程度なので、現代の貨幣価値で言うと15万円程度のクラスと言ってもいいのかな、実際に現代に国産で同じモノこさえるとなるとこの値段ではまず無理ですがね。
何しろ当時の日本と今の日本ではオーディオに限らず人も技術も物流も考え方も嗜好も今と状況が全く違う。1981年って電気製品、特にオーディオは全部日本製の時代でしょ、今更日本人が日本人経営者と資本の下で日本国内の工場で日本製の部品使って日本人の従業員と技術者と作業者で完全内製で「ちゃんとした」ユニバーサルアーム搭載したレコードプレーヤーなんぞこさえたら、まぁ生産台数の問題もありましょうが、今更作れるところがあればの話ですが、年産500台行けば御の字としてその正価は凡そ50万円はすんじゃないすかね?

で、前置きが長くなりましたが、そのデンオンのDP-60L及びM、両者の違いは本当にセミオート機構だけなのですが、元々独立したターンテーブル(フォノモーター)とアームと言う、盤を一定速で回す役割、カートリッジを組み込み溝をなぞる役割の二つの、それぞれ目的が異なる機構を一つの箱に組み込んだモノが完成形としてのレコードプレーヤーなのですね。
オートやセミオート式はこの両者を機械式であれ電気式であれ、なんかしらの方法で繋いである訳です。故にターンテーブルの回転とアームの上げ下げがリンクする訳ですね。マニュアル機はご存知の通り、ターンテーブルはアームの位置に関係なく回り続けてますし、アームもターンテーブルの動作に関係なく手動で好きに扱えます。
それで今回、これもよくありがちなのですが、先のセミオートプレーヤーDP-60Lの方はそのオート機構故にアームが不調です。まぁ37年も経過してれば何事もない方がおかしいのですが。でもモーターの方は極めて正常に33・1/3も45回転も実に綺麗に定位している、勿体ない。片や兄弟機のマニュアル仕様DP-60Mの方はモーターが逝ってる、デンオンのDD系統ではお馴染の回転暴走って奴ですが、アームは至って堅調、勿体ない。
今回その不調内用がそれぞれいい感じでズレてる同系機種追加機構僅か違いが二台目の前に揃っている訳で、この二台をひっ付けてどうにかしちゃえって考えるのはクラシックカーマニアでなくとも思いつくごく普通の流れですよね。それで深く考えもせずにいつもの調子で、アームのオート機構の具合が悪いDP-60Lからターンテーブルを外してアームが健在の方のDP-60Mへ移植しちゃえと、まずDP-60Lをひっくり返して裏蓋を外したら、うわぁ…

目の前に広がるのは、80年代初頭、バブル前の丁寧なモノ作りの技術と良心と、電子立国なんて言われてた頃の日本のいい塩梅の融合期の姿が結晶として顕れた姿そのもの。
ターンテーブルもアームもDP-60L/Mそれぞれ全く同じモノなのですが、L型の方はその両者を一目では掴み切れない規模の基盤と配線とが跨ぎ絡まり、アーム基部下部にはその信号を受けて動作する機械式の作動機構が追加されていました。つまり、M型では単にスタート及びストップのボタンに対して、基盤と配線の追加でアームが連動して動く仕組みが載っている訳ですね。故にモーター部だけ簡単に浚ってすげ替えるには各配線の役割を理解して作業にとなるとこれはもうちょっと…
そこでアプローチを変えましてですね、モーターの健在なL型のオート機構の配線は基本的に触らずに、動作不良のアームの方を静かに順を追って機構部からバラして、オート動作機構の機械的付加物以外の基本的なサイズ位置関係は同じM型のアームを移植という形で漸く解決です。
一瞬冷や汗をかきましたが、裏蓋周りの機構部違い故の多少の工夫と加工を済ませて無事完成、DP-60L【改】マニュアル仕様の完成です。作業時間二時間、仕上げにアームの調整とって針付けてバランス取って、このプレーヤーとほぼ同時期の、伊藤つかさちゃん、と言っても私より年上ですが、まだ十五歳になりたての彼女の1982年3月発表の二枚目のLPを聴きました、おぉ…

 

↑DP-60L【改】で伊藤つかさを聴くの図、下の箱はニコイチの残骸…

 

おぉってなんだよ?おまえ、と思った方はこの中古盤探しにダッシュですよ、いや本当に。
私自身は正直言って昔も今もこれからもアイドルの事よく知らないしファンでもないし、金八先生での彼女の事も歌手デビュー当時の彼女の事も記念の小田急ロマンスカー走らせちゃうくらいの人気だった事も、『笑っていいとも』の友達の輪も、順々に輪を繋いでいって、いづれ、当時タモリがファンだった伊藤つかさに逢う為の方便だったなんてまことしやかな噂も含めてあまり知らなくて、せいぜい『暴れん坊将軍ⅢとかⅣとかⅤ』の再放送で20代中頃の彼女の姿見かけてるぐらいなのですが、凄いのはこの二枚目のアルバムの楽曲提供者や製作陣の異常に豪華な並びと眺めです。そもそも先日この盤を店頭で見掛けて「へぇ、つかさちゃんだよ、最近は何してんのかな…」と買う気もなかったですが何となく手にして帯を見て驚いた

大貫妙子/原由子/矢野顕子/竹内まりや/加藤和彦/坂本龍一/高橋幸宏/後藤利次/清水信之…

っておい、なんじゃこりゃぁ?って凄い顔ぶれでしょ、これ。
これだけの人達集めて作らせて、15歳の彼女がたどたどしく音程も怪しげに、まぁかわいらしくと言えばそういうことだけど、日本のポップシーンの綺羅星のごとく存在の人達の作詞作曲アレンジをバックにうたうですよ、すげぇ。
当時の彼女が事務所だか社長だかにどれだけ期待と言うか可愛がられていたというかが容易に想像出来ますね、これ。故にアイドルのアルバムという枠を超えて一聴の価値ありだと思いませんか?メンバーがメンバーだけに妙に録音も良くって…
子役上がりのアイドルの二枚目のアルバムに、どう考えても過剰なくらいの豪華メンバー投入した必勝態勢の並び。確かに売り上げ規模なんかは最近のアイドルの方がきっと多いのだろうけど、これだけ豪勢に凄い人並べて作った15歳程度の女の子のアルバムって、果たしてこれ以前にも以後にも他にあるんでしょうか?
駄目ですよ、伊藤つかさ抜きで上記のメンバーの集まったアルバムだったらもっと凄いモノが聴けそう…とかいっちゃ。まぁもしそんなもんあれば私もそっこう買いますが(笑)
ともあれ1981、2年って、先の話のデンオンのプレーヤーしかり、アイドルしかり、オーディオもレコードも内容も作りも丁寧で、でもどこか無駄もあって、私の記憶ではケバケバしくて軽薄でバッチい恰好した人達が原宿で踊っていたり、猫も杓子もポシェット下げたぼっこいのが清里の芸能人の店に群れてた様な印象しかない時期なのですが、今にして思えば随分いい時代だったのですね…

 

話がすっかり逸れてしまいましたが、要するにアナログプレーヤーで上記の様な何か役に立てそうな事があれば協力致します→0466-20-5223