かつて、’80年頃だったと思うけど、スネークマンショーにおける「若い山彦」の時間に於いて、英語が判るという「君とはちょっと違うんだけどね」と繰り返す男が、5万枚のロックアルバムを聴いて思うのは

「いいものもある、わるいものもあるんだよ」

と、断言するに対して、銀色のロンドンブーツを履いた声の低い男は8万枚のロックLPを全部聴きまくって感じるのは

「いいものもある、 だけどわるいものもある」

という事だそうで、そののち議論は白熱の度合いを増してブーツの数やファッションやニューウェーブのプロデュースにまで至って阿鼻叫喚の終盤を迎えるのだけど、さて、この白熱の議論から既に30年以上が経過してそれ以降の盤を含めても結局ロックなんて8万タイトルも有る訳無いのだけど、まぁあっても大方悪い物の方が遥かに比率が高そうだけど、どの道ロックに8万枚タイトルもアルバムが存在するかどうかなんて考えるのも馬鹿らしいところがこの話の面白みで、全ジャンル音楽ともかく8万枚あったとしてそれをを全部聴く為に必要な時間を計算してみたら

LPの平均を仮に1枚40分として

40分×80,000枚を1日8時間全力傾聴(←すでにありえねぇ~)とすると

40分×80,000枚=3,200,000分=53,333時間19分59秒で、1日8時間毎日全力傾聴でほぼ6,667日

6,667日間とは18年と97日。

その間、閏年が4-5回あるから少しはずれようが、まぁそんなところ。

因みに彼らの言う「いいものもある、わるいものもある」を僕的基準でいうと、正直言ってレコード/CD所有枚数のうち(勿論万単位でなんて持っていません)2度と聞かないものが5~6割以上、3度目が無いのが3割以上、繰り返し聴くのが1割。

内年間で確実に三日に一度は通しで、大い時は日に3度聴くのが1枚あって、これだけはその存在を知ってから、知った時点で発表後21年も経ってしまっていた作品だけど以後、39分43秒のこのアルバムを25年間聴き続けてだいたい年間300回で24年間で7200回、4766時間聴いた計算になるけど、それでもまだ聴き足りなくて最近残りの人生であと何回このアルバム聴けるのだろうかって残数計算まで始めた始末で要するに依存症、病気みたいなもんだけど、おそらく一生かかっても8万タイトルなんて無理ですネ、いや千タイトルでさえ無理かも。

一日アルバム一枚だって本来難しいでしょ?そのうち300回は私の場合雷でも直撃して価値観が変わらない限りはこの特定のタイトルを聴き続ける時間で占められるので、毎日一枚聴いても年間で全く新しいアルバムを聴くチャンスは65回で、それでも普通に考えればなかなかのもんだろうけど、堅調な耳で後何十年聴けるか分からないけど、2000タイトルは無理っぽいんじゃないかなぁ、このペースだと。

無論さっきの計算のペースだと18年と97日で8万タイトル聴ける計算だけど、内最低でも3627時間(18年と97日間で年間300回平均計算)をこのアルバム1枚を聴く時間に割かれるので、声の低いロンドンブーツ履いた男(伊武雅刀=当時は伊武雅之)に対して18年と97日間で彼が8万枚聴く時間で僕は75,099枚聴いた事になるわけで、若い山彦に出演させてもらえても恐らくそこの論点で負けなわけで、君それちょっと違うんじゃないかなぁ~と言下に否定されてしまう訳だ。

で、対して僕は叫ぶのである

「それ君少しおかしいんじゃないかなぁ、だってさぁ、ロックは枚数なんかじゃないですよ、同じタイトル聴いた回数ですよ、僕なんか毎日同じ物しか聴いてませんよ、ねぇ、君聴いてる?それもロックのLPの“ペッパー”だけ。それでおんナじロックのアルバムを7200回4766時間聴いて思うのは、しかもLP、CD、USB、モノ盤、リマスター版、英国オリジナル盤、日本盤、全部おんなじペッパーだけ徹底して繰り返し聴いて思うのは、ん~、ロックにはいいものもある、だけどわるいものもある!んだよね」

きっとオリジナル以上に大揉めの展開必須ですネ・・・

さて、そろそろ帰って今日もペッパー聴こうっと!

因みに先の「若い山彦」や「警察だ開けろ」の名作迷作揃いのYMO/スネークマンショーの「増殖」聴くならやっぱり10インチ段ボール縁仕様だよね!

もう今回は徹底して判りにくいネタでゴメンなさい、だぁれ~みたいな。